ティモシー・ダルトン・イオンプロ2作品■
 
■ 第15作 007 リビング・デイライツ 
The Living Daylights
 1987年 英・米
監督/ジョン・グレン
製作/マイケル・G・ウィルソン、アルバート・R・ブロッコリ
脚本/リチャード・メイボーム、マイケル・G・ウィルソン
音楽/ジョン・バリー
主題歌/a-ha
撮影/アレック・ミルズ
編集/ジョン・グローヴァー、ピーター・デイヴィス
プロダクション・デザイン/ピーター・ラモント
タイトル・デザイン/モーリス・ビンダー
●舞台/ジブラルタル、チェコスロバキア、オーストリア、タンジール、アフガニスタン
●敵/コスコフ(ジェローン・クラッベ)
ブラッド・ウィティカー(ジョー・ドン・ベイカー)
●ボンドガール/カーラ・ミロヴィ(マリアム・ダボ)
 作品自体はけっこういい線行ってる。アクションも話もまあよく出来てる。
 が、今から思うと、これが中期のピークであって、それまで辛うじて続けていたボンド映画は終わる。

 グレンは持ち味を発揮して、見せ場も多い。
 しかし、シリーズ観点から言うと、ダルトンに変わった時点で、監督も変えるべき。”原作に帰る”としたダルトンをグレンは生かせなかった。

 気になるのは脚本の詰めの甘さだろうが、あの心臓は、何度見ても何の意味があるのかさっぱり分からない。そういうところは、もう脚本が疲弊してると言ってもよい。が、ところどころにハッとするグレン味のアクションがあるから見てられる。

 ラストの1対1の対決はいいが、何で突然そうなるのか、話の流れが遮断されている。

 グレンは良い所は良いのだけど、例えば「リビング」で言えば、輸送機の荷物ごと落下。これなんて、シリーズ中どころか、アクション映画のスタント名場面だと思います。

 一方、第2撮影班とのコミュニケーション不足なのか何なのか、ボンドカーが氷上を氷を削りながら回転し、氷上に丸く穴をあけるシーンなど、明らかにミドルショットとアップで、氷の丸い穴の円周が違うという不自然さ。

 グレンは編集の力を過信しすぎてる。繋げば誤魔化せると思ってる。 それは「オクトパシー」にも散見される。グレンの明らかな欠点です。

 バリーの音楽は「リビング」で最後だが、本来のバリーの力が発揮できている。
 主題歌担当のアーハとの軋轢は、多分、バリーが悪いんだろうと推測する。アーハのメロディをバリーとの共作にしなければ、劇中に使えませんからね。

 「リビング」でのグレンの演出は出来が良かったが、シリーズ通して見ると、グレンの演出は不安定。「美しき」の消防車シーンなんて目も当てられない。「オクトパシー」で辞めとけば伝説になった監督。辞められなかったんだろうと推測します。これはイオンの責任。
●極私的注目点
・襟を黒にして狙撃に備えるボンド。
・「さぞかしリビングデイライツだったろう」とのボンドのセリフ。
・コスコフ西側亡命でハリアー発進。バリーの曲。
・バレエダンサー(ネクロス=アンドレアス・ウィズニュースキー)の華麗なアクション。
・トラックで同時に揺れてる銃撃隊のシリアスなおかしみ。
・「ムジャハディン」の副司令官カムランがボンドを助けに部隊を率いるシーン。
・輸送機からボンド、ネクロスが、アヘン袋を詰めた網と共に空中に頬りだされるシーン。
・その後の爆弾探しのスリリングと直後の山にぶつかりそうになるシーン。
 007/リビング・デイライツ


■ 第16作 007 消されたライセンス 
Licence to Kill
 1989年 英・米
監督/ジョン・グレン
製作/マイケル・G・ウィルソン、アルバート・R・ブロッコリ
脚本/マイケル・G・ウィルソン、リチャード・メイボーム
音楽/マイケル・ケイメン
主題歌/グラディス・ナイト
撮影/アレック・マイルズ
編集/ジョン・グローヴァー
プロダクションデザイン/ピーター・ラモント
タイトル・デザイン/モーリス・ビンダー
●舞台/フロリダ、パナマ、南米イスマス国(架空の国)
●敵/フランツ・サンチェス(ロバート・デヴィ)
ダリオ(ベニチオ・デル・トロ)
●ボンドガール/パメラ・ブービエ(キャリー・ローウェル))
 明らかに迷ってる。決して失敗作ではないが、夢が無い、007ワールドはもう無い。宣伝に「007」の大きな文字は消えた。誰もが”これで終わりだ”と、ピリオドを一旦は打たざるを得なかった1作。実際このあとシリーズは空白を迎える。

 まず、金が無かったんでしょう。パインウッドスタジオは使えず、脚本はマイケルがドキュメンタリーで「用心棒」だとか言っていたが、確かに敵の懐に入り込むボンドは「用心棒」を彷彿とさせる。
 製作者兼脚本のマイケルは、映画文化の叩き上げではなく、会計士としてイオンプロに入った人。マイケルが製作に関わるようになってから、何かしら他の映画の影がある。それホント止めた方がいい。ボンド映画を見る人は他の映画も見てるんだから、ブランドがイミテーションになることほど悲しいことはない。

 ”公金使って美女と派手に遊びまくる”の「ボンド映画」の基本ラインから、”個人的な復讐”をメインにした「消された」は、完全に製作ポリシーを踏み外した、ボンド映画としては異色作。

 「消された」では、その暗い内容にグレンの明るいアクションは発揮できず、「マッドマックス2」のあからさまなパクリ。冒頭の飛行機吊り上げも凄い事をやってるのだろうが、”なるほどねー”と感心する程度。
 脚本は新展開を模索したのだろうが相当苦戦してる。「消された」の脚本にはマイケルの映画コンプレックスが垣間見れる。

 その中で、ベニチオ・デル・トロが、ボスに忠実な野卑なチンピラを好演している。その後、ベニチオ・デル・トロが映画界で出世したのも頷ける。
 敵の麻薬王はシリーズに珍しいしっかりしたリアリスト。ロバート・デヴィが人間味ある敵役を演じた。
 ベニチオ・デル・トロとロバート・デヴィは、2人で演じるプランを詰めたそうだ。グレンの人物演出力が無い事が役者にバレていたあかしと推測します。

 サントラで不評なマイケル・ケイメンは本編ではしっかり映画音楽している。「消された」のガンバレルだけが、ボンドのテーマの抽出部分が違う。マイケル・ケイメンのオリジナルの曲が4小節入ってからボンドのテーマとなる。
●極私的注目点
・バーで、ダリオ(ベニチオ・デル・トロ)が「ヒッ!」と笑うところ。その後のナイフ。
・東洋人客を歓待するダリオ、ボンドを見つけて表情が変わる。
・「人件費削減だ!」と部下を撃つサンチェス。
・「ユー、デッド」とナイフでボンドを切ろうとするが、パメラに撃たれるダリオ。その演技。
 
サイトのトップへ   このページのトップへ