■■ 「ボンド映画」を語る ■■
 
 ●007シリーズを映画館で見る醍醐味
  007シリーズはイベントです。数年に一回のお祭りです。その時代を感じながら出来るだけ映画館で見たいものです。
 ご存知のように、007シリーズは、50数年の歴史のある同じ製作会社(イオンプロ)が作った映画史上最長のシリーズ映画です。

 筆者(youon)は「007/ダイヤモンドは永遠に」以降、シリーズ全作、映画館で見ています。「ダイヤモンド」以前は、当時リバイバルや名画座上映がありましたから、映画館鑑賞が可能でした。
 ただ、番外の(イオンプロ製作ではない)「カジノロワイヤル」'67だけは、TVで鑑賞しました。筆者(youon)が知る限り、関東圏、どこの名画座でもやっていませんでしたから。もう全作、映画館で見てるって人は、極、少なくなっているのではないでしょうか。

 現在は、DVD、BD等、二次メディア、有料TV放送などで、ノーカット、完全版でシリーズ各作品が見られます。それは大いに結構なことですが、007シリーズは、初上映時の世相が大きく反映されているシリーズです。社会世相に限らず、その時期の映画状況にも影響を受けているシリーズです。出来るならその時期に、封切りで鑑賞することがシリーズを堪能する醍醐味ではと思います。
 
 ●007シリーズは、原作がなくとも、原作者・イアン・フレミングに回帰する
  007シリーズの原作者はもちろん、イアン・フレミングであります。
 フレミング死後、遺族などの許可を得た正式継承作家、ジョン・ガードナー作品やレイモンド・ベンソン作品などありますが、それら継承作家の作品は映画化されていません。
 筆者(youon)は、フレミングの原作は全部読んでいますが、残念ながら他の作家の007は、ほとんど読んでいません。

 007はフレミングあってこそであって、007のスピリットはフレミングにあると筆者(youon)は信じています。
 ジェームズ・ボンドものの映画化権のあるイオンプロも版権の問題があるのか、フレミング原作以外には手を付けていません。

 フレミングの映画化にあたっては、ほぼ原作通り、原作の要素を基に大幅に改変したもの、短編を膨らませたもの、映画のオリジナル脚本とありますが、全て、Ian Fleming's とタイトルに冠を付けていて、フレミングを尊重する意思を示しています。

 フレミングの原作には傑作と駄作とありますが、最近ではダウンロードで読めるネット書籍でシリーズが販売されており、手に入るのなら、ぜひ読まれることをお勧めします。
  
 ●007シリーズは基本的に1本1本の作品で独立している
  映画の007シリーズは、極端な言い方をすると話が繋がったシリーズではありません。話が続いているわけではありません。それゆえにシリーズが50年以上続いたとも言えるでしょう。原作ではけっこう話は続いてますが、基本的に映画は1本1本、独立しています。

 映画では、もちろんジェームズ・ボンドはじめ、登場人物などの要素は続いていますし、前作のエピソードの話が出る場面もあります。が、映画で正当に話が続いてるのは、今のところ「カジノ」と「慰め」だけです。

 「ボンド映画」は、作風などを時代時代で変化させていったことで、時代に対応させて来たと言ってよいでしょう。。

 監督ジョン・グレンが打ち出したポップなアクション路線、それを継承していったブロスナン路線、それらが息切れしてきた時、00年度初頭に、それまで持っていなかった「カジノ・ロワイヤル」の原作映画化権利を、イオンプロが収得できたことで、007シリーズが立て直せたと言って過言ではないでしょう。
 幸いなことに「カジノ」は、フレミング原作の第1作目です。当然ボンドはリセット、原作の原点に立ち返ることができました。

 これはまあ、イオンプロのそれまでの努力の甲斐、または映画業界再編によるところ、例えば、「カジノ」の映画化権利がソニーにあり、ソニーが007映画に出資したようなラッキーな現象だったとも言えます。 もちろん「カジノ」の原作が手に入らなかったら、ボンドのイメージを大幅に変えた俳優ダニエル・クレイグの登場も有り得なかったでしょう。
 
 ●007のテーマ論・その1 『冷戦が終わったから・・』ではない!
  よく”冷戦が終わったので007映画の存在意味が無くなった、だから人気がなくなった”と評じる方がマスコミ雑誌あたりに居らっしゃいますが、その指摘は全くの的外れ。007で冷戦を前面のテーマにした作品は1本もありません。

 フレミングの小説は、もちろんフレミング自身が冷戦を生き抜いてきたから、小説への冷戦の影響は大きく表れています。しかし、逆に映画は、共産圏の反発を避けるためか、原作にあるソ連を無理やり謎の組織スペクターに置き換えて、冷戦を前面に出すことを避けています。

 それを『冷戦が終わったから・・』云々は的外れです。

 007が一時期よりも人気が無くなったのは単純明快、総合演出力の無いジョン・グレンのアクションネタが飽きられたからです。そしてそれを継承したブロスナンが、呪縛を断ち切れなかったからと思っています。
 また、異様なデザインで目を見張らせたケン・アダムに追従するプロダクションデザイナーが出てこなくなったことも衰退の原因でしょう。冷戦が終わったからではありません。
 
 ●007のテーマ論・その2 各作品のテーマ
  イアン・フレミング原作の各原作はテーマがハッキリしています。
フレミングはテーマを原作タイトルに重ねることが多く、それは主に長編に出ています。
原作をほとんど変えずに映画化した作品は、フレミングのテーマをそのまま引き継いでいるが、短編を膨らませた作品や映画オリジナルの作品では、テーマ性が希薄となっている。

では、映画シリーズそれぞれの作品は、何をテーマにしていたか?

ハッキリしたモノを順番に挙げていきましょう。

●「ドクター・ノオ」
 ほぼ原作通りで、原発を入れ込んだことで、ラスト、ドクター・ノオとの対戦が原作と異なる。またドクター・ノオの背景に謎の組織スペクターを入れ込んだ。
 テーマは「謎の中国人」。

「ロシアより愛をこめて」
 ほぼ原作通りだが、敵をソ連のスメルシュではなく第三者のスペクターにし、東西を手玉に取るという形態にした。
 テーマは「東西冷戦」。

「ゴールドフィンガー」
 ほぼ原作通りだが、原爆を入れ込み、金塊を盗み出す作戦を金塊を汚染させる作戦にした。敵はゴールドフィンガー。
 テーマは「金(ゴールド)」。

●「サンダーボール作戦」
 ほぼ原作通りで、敵はスペクター。
 テーマは「海洋リゾート」。

●「007は二度死ぬ」
 原作の登場人物を借りて、童話作家ドナルド・ダールらのオリジナル脚本。敵はスペクター。
 テーマは「ミステリアスな極東」。

●「女王陛下の007」
 ほぼ原作通りで、敵はブロフェルド(スペクター)。
 テーマは「スキーのロマンとダイナニズム」

●「ダイヤモンドは永遠に」
 原作の登場人物と一部の舞台設定を借りたオリジナル脚本。敵はブロフェルド(スペクター)。
 テーマは「ダイヤモンド」

●「死ぬのは奴らだ」
 原作の登場人物と一部の舞台設定を借りたオリジナル脚本。敵はドクター・カナンガ。
 テーマは「ハーレムの怖い黒人」

●「黄金銃を持つ男」
 原作の登場人物と一部の舞台設定を借りたオリジナル脚本。敵はスカラマンガ。
 テーマは「エキゾチックなアジア」

●「私を愛したスパイ」
 長編小説のタイトルだけ借りた、映画オリジナル脚本。敵はストロンバーグ。
 テーマは「大洋」。

●「ムーンレイカー」
 原作の登場人物を借りた映画オリジナル脚本。敵はドラックス。
 テーマは「宇宙」。

●「ユア・アイズ・オンリー」
 短編数編の登場人物と一部の舞台設定、長編「死ぬのは奴らだ」の一部のシチュエーションを借りたオリジナル脚本。敵はクリスタトス。
 明確なテーマは見当たらない。

●「オクトパシー」
 短編数編の登場人物と一部の舞台設定を借りたオリジナル脚本。敵はカマル・カーン。
 明確なテーマは見当たらない。

●「美しき獲物たち」
 短編の登場人物と一部の舞台設定を借りたオリジナル脚本。敵はマックス・ゾーリン。
 明確なテーマは見当たらない。

●「リビング・デイライツ」
 短編の登場人物と一部の舞台設定を借りたオリジナル脚本。敵はコスコフとウィティカー。
 明確なテーマは見当たらない。

●「消されたライセンス」
 原作なしの映画オリジナル脚本。一部、短編「珍魚ヒルデブラント」の登場人物を使用。敵はサンチェス。
 明確なテーマは見当たらない。

●「ゴールデンアイ」
 原作なしの映画オリジナル脚本。敵はアレック・トレヴェルヤン。
 明確なテーマは見当たらないが、強いて言えば、「冷戦終結」。

●「トゥモロー・ネバー・ダイ」
 原作なしの映画オリジナル脚本。敵はエリオット・カーヴァー。
 明確なテーマは見当たらないが、強いて言えば、「巨大メディア」。

●「ワールド・イズ・ノット・イナフ」
 原作なしの映画オリジナル脚本。敵はレナード。
 明確なテーマは見当たらない。

●「ダイ・アナザー・デイ」
 原作なしの映画オリジナル脚本。敵はグスタフ・グレーブス(タン・サン・ムーン大佐)。
 明確なテーマは見当たらない。

●「カジノ・ロワイヤル」
 ほぼ原作通りで、数シチュエーションをオリジナルで付け足した。敵はル・シッフル。
 テーマは「カジノ」。

●「慰めの報酬」
 短編小説のタイトルだけ借りた、映画オリジナル脚本。敵はドミニク・グリーン。
 「カジノ」の続編。明確なテーマは見当たらない。強いて言えば「スパイの悲哀」。

●「スカイフォール」
 原作なしの映画オリジナル脚本。敵はシルヴァ。
 テーマは「ボンドの実家スカイフォール」。

●「スペクター」
 マクローリー原案の”スペクター”、”ブロフェルド”の名称を出した、映画オリジナル脚本。敵はスペクター。
 テーマは「スペクター」(もしくは、マドレーヌ含めた”家庭の事情?”)。
 
 ●邪道ですがあえて「バットマン」と比較する
  そもそも007とバットマンは比較できるモノではないのだが、比較する論評もあるので、邪道ですが筆者(youon)が比較することにします。

 まず違いを言う前に、大枠の共通点としては、双方とも「アクション主体の映画」ぐらいしかありませんが、無理やり「007」と「バットマン」で比較できるところを挙げてみましょう。

 「ダークナイト」の香港でしたか、バットマンを飛行機で救出するというシーン、
 これが「サンダーボール」のラストと同じだという指摘。これは、「007をパクった」という考え方もあるようですが、実際に米軍だかで、そういう作戦を実用化まで計画されたという話です。ですので、「サンダーボール」の時点では当時の最先端で、「ダークナイト」は何十年も遅れて取り入れたというだけの話。

 そして「バットマン」役のクリスチャン・ベール。
 ボンド役にどうかという話ですが、英国俳優だし充分有り得ます。
 ただこの場合、「バットマン」は何も関係ない。クリスチャン・ベールという、いち俳優の話になる。

 クリスチャン・ベールは演技派だから、ボンドをやったならやったで、上手く役作りするんじゃないんでしょうか? ただし、その場合、バットマンと掛け持ちは、出来ないでしょう。掛け持ちしたら、スケジュールの問題の前に、映画商品としての価値が下がるでしょう。あくまでも掛け持ちすればの話ですが。

 あとは、ちょっと共通項見つかりません。だから根本的な違いを挙げてこの項は終わりにしよう。

 まず「バットマン」は、アメリカ。「007」はイギリス、国が違う。
 イオンプロが製作の兼ね合い上、ハリウッド経由の資本も入っている。しかし007は主人公がイギリス人だし、製作スピリットもイギリスですよ。だから「50周年大英帝国」が可能になる。

 「バットマン」の製作形態は、筆者(youon)はよく知りませんが、大雑把にハリウッドと言ってよいでしょう。 過去のティム・バートンの「バットマン」の製作形態と、クリスチャン・ベールの「バットマン」の製作形態がどう違うかは細かくは存じませんが、制作会社が違うのは確かでしょう。
 一方、007の製作形態は、1961年より、この50数年ずっと、イギリスのインディペンデント制作会社「イオンプロ」です。

 バットマンはアメリカのコミック、いわゆるアメコミ。007は1953年発表されたスリラー小説ですよ。 アメコミのヒーローと英国の酒飲み大河小説の主人公を比べるのは、筆者(youon)はどうかと思います。

 アクションの撮り方とか、そういう映画技法を比べるなら、まだ話は突っ込めますが、そういう話なら「バットマン」である必要はありません。

 あと、バットマン絡みで、クリストファー・ノーラン監督の話になると、彼が007を撮ったとしたら、やったらやったで、それなりの物ができるのではないかと思います。
 ただこれもクリストファー・ノーランという、いち監督の話で、バットマンの話では無い。 クリストファー・ノーランが007をやることで、007の話にバットマンが出るとかは、あり得ないでしょう。

 クリストファー・ノーランで評価できるのは、「インソムニア」「プレステージ」「ダークナイト」「インセプション」。007をやるなら仕切り直してからということらしいですが、今では無いのは確かでしょう。

 今の007は「スカイフォール」で、この50年の呪縛を初めて切りましたからね。
 イオンプロが求めているのは作家性ですよ。仕掛けじゃない。
 それと、クリストファー・ノーランって、意外とアクション演出下手ですよ。 「インセプション」の雪山のアクションなんて、”夢の中の設定”とは言え、「美しき」の劣化版に見える。「バットマン・ビギンズ」のモノレールのアクションなんて、ハッキリ言って下手です。
 今、クリストファー・ノーランで印象深いアクション思い出せと言われれば、う〜ん、と考えた末、「インソムニア」の霧の中の銃撃シーン? まあこれはサスペンスでしょう。
 あと何があるでしょう? 「ダークナイト」の高速道路のバットカー(?)、バットバイク(?)は見せ場だけど、まあ特に・・って感じです。「ライジング」のワザとらしいアクションは何だろう? 筆者(youon)は認めません。
 そもそも「消された」の飛行機吊り上げが大して面白いもんじゃ無いのに、それを仰々しくやったって、やっぱり大して面白くはなりませんよ。

 007関係なく、クリストファー・ノーランが素晴らしいのは「インターステラー」で、「2001年宇宙の旅」に肉薄、もしくは超えたことでしょう。
  
 敵役の極私的評価。5点満点で
 「ドクター・ノオ」ドクター・ノオ、5点。

「ロシア」クレップとグラント、2人とも5点。

「ゴールド」ゴールドフィンガー、5点。

「サンダー」ラルゴ、3点。

「二度死ぬ」ブロフェルド、3点。

「女王陛下」ブロフェルド、4点。

「ダイヤ」ブロフェルド、4点。

「死ぬのは」ドクター・カナンガ、3点。

「黄金銃」スカラマンガ、5点。

「私を」ストロンバーグ、4点。

「ムーン」ドラックス、4点。

「ユアアイズ」クリスタトス、2点。

「オクト」カマル・カーンとオルロフ将軍、2人で3点。

「ネバーセイ」ラルゴ、2点。

「美しき」マックス・ゾーリン、4点。

「リビング」コスコフとウィティカー、2人で3点。

「消された」サンチェスとダリオ、2人で5点。

「ゴールデン」アレック・トレヴェルヤン、4点。

「トゥモロー」エリオット・カーヴァー、4点。

「ワールド」エレクトラ・キング、5点、レナード、2点。

「ダイアナザー」グスタフ・グレーブス(タン・サン・ムーン大佐)、2人で4点。

「カジノ」ル・シッフル、5点。

「慰め」ドミニク・グリーン、3点。

「スカイフォール」シルヴァ、5点

「スペクター」ブロフェルド、3点
 
 ●興味深いガンバレルの話
  ガンバレルとは、イオンプロの007シリーズ全てにあるオープニング映像デザインのこと。ボンドが画面に向かって銃を撃ち、血が流れるといったタイトルデザイン。

 音楽の観点から言うと。「ダイヤモンド」が一番でしょう。 何故か?
初っ端の「ジャジャン!」に不協和音が入ってるのと、「パラッパパーラ」のメロディが違うんです。
「 ダイヤモンド」のガンバレルは、本編の胡散臭さを見事に表現している。バリーが狙ったのか、偶然かは不明ですが、けっこうバリーは、作品の質感で音楽変えてますからね、けっこう意識したのかもしれません。

 さらに音楽に特徴があるのが「消されたライセンス」。マイケル・ケイメンのオリジナル曲が4小節ほど入ってる。これがなかなかよろしいです。
 
 ●007シリーズは、一貫したひとつの「ボンド映画」です
  どういう意味かと言うと、例えば、「ティム・バートン監督から始まるのバットマン」シリーズと「クリストファー・ノーラン監督のバットマン」と「その他のバットマン」が違うように、「ロジャーのボンドの007」と「ブロスナン」と「ダニエル」と分けて考えるのは違うと思ってます。

 イオンプロ製作の007シリーズは、どの俳優がボンドをやろうと、それは手を変え品を変えたりはしてますが、「イオンプロ」の一貫したスピリットで繋がっているものなのです。007、50周年、「スカイフォール」で、「ゴールドフィンガー」のアストン・マーチンが出てきたり、ラストで「ドクター・ノオ」時代の事務所に戻ったりするのは、シリーズは一貫しているという証しです。
 
 ●「ボンド映画」の時系列
  原作は発表順に時系列になって、前作の裏話なども登場するし、原作の「サンダーボール作戦」→「女王陛下の007」→「007は二度死ぬ」→「黄金銃を持つ男」は、完全に続き物(前作の話の要素を繋げている)になっています。

 映画で時系列を考えるとハッキリ言って破綻しています。
 コネリー時代は、「ロシア」で「Dr.NOの復讐」などのセリフや、「ドクター・ノオ」で登場した愛人が出たりと、話が繋がってるような描写があります。また、「サンダーボール作戦」では、「ゴールドフィンガー」で活躍したアストンマーチンを再び登場させてます。

 時系列が「?」になるのは、「二度死ぬ」でボンドとブロフェルドは対面してるのに「女王陛下」では、初体面になっていること(原作では順序が逆)。
 その後も思い出したように「ユアアイズ」でトレーシーの墓(1969年死亡)があったり、繋がっているのか繋がってないのかハッキリしません。「女王陛下」で妻トレーシーが殺されていても次作「ダイヤ」ではトレイシーのトの字も出ない(「女王陛下の007」は無かったことにしたい)。

 ブロスナン時代から登場したM(ジュディ・デンチ)は、ダニエル時代のM(ジュディ・デンチ)とは、本名が違う別人との設定だそうです(「イオンプロ」の情報による)。

 基本的に「ボンド映画」の時系列は、作品1本1本の中で完結していると考えるのが妥当でしょう。過去の作品の要素が出るのは、過去作へのオマージュと捉えるのがよろしいのではないでしょうか。

 映画で話が繋がっているのは、「カジノ」と「慰め」ですが、「カジノ」は原作通り、「慰め」はオリジナル脚本であり、「慰め」が原作テイストを継承した続編とは思えません。
 「スペクター」は「スカイフォール」のエピソードが出てきますが、ただの写真1枚に過ぎず、話は特に繋がってはいません。

 映画の時系列は破綻していますが、「カジノ」から別シリーズという考え方は、筆者(youon)は否定します。「カジノ」で仕切り直してはいますが、「イオンプロ」のスピリットは続いています。製作魂が繋がっていたからこそ「カジノ」が誕生したんです。
 
 ●「ボンド映画」英才の歴史
  とにかく、音楽のジョン・バリーが神すぎた。「女王陛下」は、サントラ史上の傑作でしょう。
 アーノルドも手際よくこなしてるが、いまいち突き抜けてはいない。アーノルドがボンドのテーマを使えなかった「カジノ」を聞いてみてもさほど引き込まれない。
 その点、「スカイフォール」からのトーマス・ニューマンの方が、しっかり映画音楽してる。

 こう考えると、初期3作で、音楽のバリー、美術のケン・アダム、編集のハント、演出のヤング、演技のコネリー、これらの英才が居たからシリーズの基礎がしっかり出来上がり、その後も続いていたんだと思います。
 これらを英才たちを揃えたのは、ブロッコリなのかサルツマンなのでしょうか?

 そして、製作者ブロッコリと監督ルイス・ギルバートが、「私を愛したスパイ」でイベント映画をぶち上げる。

 さらに喝を入れたのは、グレンですが、力及ばずでブロスナンといった感じでしょうか?
 マイケルが時々脚本をやりますが、元々、金庫番の製作者なんだから製作に徹したほうがよろしいでしょう。

 ちなみに初期から脚本に参画していた、リチャード・メイボーム氏を筆者(youon)はあまり評価していません。初期の長編原作の欠点を上手くカバーしてきた点(例えばゴールドフィンガーのレーザーなど)は、評価しますが、長編原作が無くなったとたん、話の筋に骨が入らなくなった(つまりテーマが見えない)。
 リチャード・メイボーム氏は脚本化ではなく、脚色者なんだと筆者(youon)は、思ってます。

 ブロッコリ娘バーバラが初めて親がやってきたことを「スカイフォール」でひっくり返しました。文芸畑の作家を出してきたのが吉と出ました(これはダニエルがメンデスを紹介したとのこと)。この成功は悲願だったのではないかなと思います。

 ただ、この次に「スペクター」を出してきたのは、筆者(youon)的には疑問です。
 今更、スペクターを出してきて、どう世に訴えるのか? それが見えません。
 さぞかしスタッフは困惑したと推測します。
 
サイトのトップへ  このページのトップへ     次のページへ
 
Copyright(C) youon All rights reserve