エッセイ2022・1996年の香港
Hong Kong

1996年の取材の思い出話を
2022年に書いています。
現在に参考になる
具体的ゲイ情報はありません。
 


 筆者(fanta)は、1996年にゲイ雑誌『薔薇族』に「最後の香港」というタイトル、南島健太郎の名で、香港のゲイ施設紹介、エピソードなどの記事を書いています。『薔薇族』に書いた筆者の初めての海外記事でした。

 「最後の香港」というタイトルの意味は、香港の中国返還時期が1997年だったことから、英国統治の最後の年ということで、「最後の香港」と名付けました。

 実際、1997年には香港は中国に返還され、1996年時点で取材したそこそこ活性していた香港のゲイ状況がその後どう変化したかは具体的には存じ上げません。その後、行っていないからです。

 ただ、現在のネット情報などを見ると、ゲイサウナ、クラブ、バーなど、新しいところができていたりと活性してるようです。

 一方、閉店情報もあり、コロナの影響や、同性愛に否定的な中国本土の思想も影響していないとも限りません。事実、同性結婚を報じたTV局に中国政府側よりクレームが入っています。

 このコーナーでは、筆者(fanta)の1996年での思い出話のみ記述します。

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 当時、某国に長期滞在していた筆者です。日本に帰るのにどのコースを取ろうかと考えていました。まだネットが一般的でない時代です。ふと一般旅行雑誌を見るとページの欄外に「ホンコンのどこどこのゲイクラブが賑わってる」という1行の記事があり、それを見ようと、香港経由の帰途を計画しました。

 香港国際空港の今は移転していますが、当時は香港市内を上空をビル群をかすめる様に着陸する空港で、実際その通りで異様なスリルがありました。映画『燃えよドラゴン』のタイトルバックの光景ですね。

 前出のその「1行記事」を頼りに実際そのゲイクラブにおもむきました。そしたらそこに香港ゲイマップみたいな冊子があり、ゲイプレイスが一覧で載っている。「これは良いワ」と香港取材を本格的に始めた訳です。

 ちなみにそのクラブにいい感じの子がひとりで居たので、英語で話しかけたら「英語分かりません」との反応。香港の人は英語が分かると思い込んでいたけど、体よく断られたのかもしれないね。

 いずれにしても香港では英語で通しましたが(中国語分からないし日本語通じない)、基本的に問題はなかった。庶民には通じないのかもしれないという印象です。

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 香港のゲイプレイスはそのゲイマップに載っているところで記事になりそうなところは全部回りましたよ。
 ゲイサウナは基本的にはノウハウ日本と同じですから、まあ楽勝。6店ほど行きました。ほとんどワンフロアだったような気がします。

 そこそこモテたような印象はあるが、やったかもしれないけど記憶にないですね。やった人の記憶が全くないのでやってないんじゃないでしょうか。ダークルームでいきそうになったんで逃げ回ったのは覚えてる。

 一方、楽勝ではなかったところは、ゲイバーとかゲイクラブとか、下半身使わないところ。日本の二丁目のように店子が相手してくれるものと思い込んでいましたが、そんなこと全く無し。カウンターが一応あるが、店員は飲み物作ってるだけ。客はボックス席に放置でした。

 途中、4,5人ほどの若い香港人がボックスを占領。中国語が飛び交い居心地悪いことこの上なかったです。机の上に全員の当時の携帯電話がズラリと並んだ光景が印象的でした。

 各地ゲイプレイスの店名も場所も完全失念。当時の原稿も紛失してます。過去の『薔薇族』探せば見つかるだろうけど意味ないでしょう。ゲイプレイスの多くは九龍地区にあったような気がします。原稿があればいろいろ思い出すかもしれないですが、もう昔の話になっていますよ。

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 香港には筆者の親せきが居るので、初日と2日目の昼間は親せきと香港観光。と言ってもさほど観光場所があるところではないので2日で終了。
 親せきから紹介された中級ホテルが高いので、さらに安い安宿に勝手に移転。これ、某国でつきかわれたバックパッカー感覚ですね。あとで怒られましたけどね。

 その安宿は香港で有名な安宿ビルディングで、30階ぐらいあったんじゃなかったか。後日(数年後)、香港人から「よくそんなところ泊まったね」と言われましたよ。そのビルにはアフリカ系が多かったです。

 まあ部屋は問題ない。ベッドひとつにTV、シャワー、トイレ。ルームクリーンもフィリピン人おばちゃんがしてくれる。夜遅く帰ってきて、TVが水槽の金魚をズーっと映してるのを見てました。まあ下階の料理店の料理の匂いが入ってくるのはいただけなかったけど。

 確か5泊か6泊かだったと思いますが、夜はゲイプレイスの取材、昼間は暇ですから、博物館とか回ってた。今だから言えるけど、博物館のトイレで露出、全裸でトイレ外の階段まで行った。その高揚感は鮮明に覚えてる。見つかったら大変なことになると今では思うが、当時はやったね。パッションが理性に勝った(自分の)時代ですよ。

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 香港の市内一般バスに適当に乗って、2階建てバスを堪能しました。途中大きな新しい公園があって、「ああ、ここが例の大型迷宮スラムビルの跡なんだな」などと思いました。

 市内バスなので、行きつくところはたかが知れてますよ。いずれにせよ狭い香港領土内に違いないのですから。それ分かって乗ってる。閑散としたバスターミナルが終点。またそのバスに乗って、中心地に戻るってなことをやってました。

 中心街でなくちょっと外れた住宅地なども散策しましたが、住宅地と言っても20階、30階の古いビルが立ち並ぶ。日本では見られない光景でした。当時だからかもしれませんが、上半身裸で働いてる人も目に付き、若い子のカラダは魅力的でした。

 3日目でしたか、日本と中国との間で尖閣での初めの衝突事件が発生。香港のTVでもタブロイド紙、新聞、日本批判で一色。
 「日本人だけど」と電話をかけ、行きついたゲイサウナのTVで、その尖閣ニュースをやっていて、逆にスタッフから気を使われましたよ。

 「日本軍がやったことだ」と言うので、「普通の日本人は尖閣って知らないよ」と答えた。その当時は尖閣を知らないのは事実。それと日本軍じゃなくて海上保安庁ですよ。

 街自体が尖閣の件でギスギスしているのを感じるので、香港人の親せきに電話すると、「香港人が怒るのは当然」との答え。日本はどう反応しているのかと日本の友人に国際電話したら、「竹島にしたってさぁ」とか言われ、「こりゃダメだ」と思いましたね。
 今(2022年)の香港なら全然違う反応だったと思いますが。

 以後、日本人を隠してゲイプレイス取材をしました。
 香港期間中、丸一日風邪をひきました。薬を買って完治したんだと思います。詳細は失念しました。

 ああ、書いていて思い出しましたが、メインストリートにある歩道橋。渡り廊下が交差点をまるまる覆うような広い屋根付きスペースになっていて、夜は薄暗い。隅の方で2人が男同士でゴソゴソやっていて、「ああ、ここはハッテン場になってるのかもしれないな」と思いました。ハッキリ確認する時間はありませんでしたね。

 2022年時点で書けることは上記のようなことです。お目汚しいたしました。

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